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インタビュー@クラシック
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[クラシック・ニュース 2016/11/15〜 2016/11/21]
2016年11月18(木)
【HORIZONシリーズ】新しいレパートリーと高みに挑戦する実力派奏者の活躍 のゾーン!
サクソフォン:西本淳(左) 大石将紀(右)
サクソフォン:西本淳(左) 大石将紀(右)

サクソフォン奏者の大石将紀、西本淳は新しい活躍のゾーンを拡げてサクソフォンデュオに挑戦する。ソリストの一人の大石将紀が「インタビュー@クラシック」で!

「インタ ビュー @クラシック」
http://classicnews.jp/interview/index1118.html

このシリーズ出演3回目となる,今回は大阪を中心に活躍しているサクソフォンの西本淳とのコンビである。12月2日には同じ内容で大阪のコンサートがある。

試聴:大石将紀NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)
http://www.m-oishi.com/
サクソフォン奏者の大石将紀


コンサート情報
<アンチエンヌ/アンフレクション〜サクソフォン二重奏の夕べ>大石将紀/西本淳(サクソフォンデュオ)

2016年11月29日(火) 近江楽堂
大石将紀/西本淳(サクソフォンデュオ)
<アンチエンヌ/アンフレクション〜サクソフォン二重奏の夕べ>

  • シャルル・ケックラン:24の二重奏曲 Op.186 より
  • ソフィア・グバイドゥーリナ:デュオ ソナタ
  • 鈴木純明:アンチエンヌ
  • オンドレージュ・アダメク:アンフレクション
  • 邱浩源:追痕
  • 藤倉大:ドルフィンズ

前売券:3,500円 当日券:4,000
お問い合わせ:
オカムラ&カンパニー
http://okamura-co.com/concerts/387/
チラシ(PDF/1.2MB)
※こちらのPDFを印刷し、チラシとしてご利用いただけます。

東京文化会館チケットセンター:03-5685-0650
オペラシティチケットセンター:03-5353-9999

西本 淳×大石将紀 サクソフォン・デュオリサイタル
2016年12月2日(金)19時 阿倍野区民センター 小ホール

NML大石将紀
http://ml.naxos.jp/KeywordSearch2.aspx?word=%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E5%B0%86%E7%B4%80


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2016年11月15日(火)
東京音楽通信〔205〕  2016年11月前半
田園風景が広がった

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団 来日公演 ―― 89歳の現在も元気元気。背筋もしゃんとしていて、指揮台まですたすたっと歩いてくる(11月3日、サントリーホール)。

シューベルト「未完成」。ん、イメージしていたバンベルクの音となんか違う。メロディーが、何というか、軽い。特に弦が…。少しして理由に気づきました。弦、ノン・ヴィブラートなんですよね。そういえば、木管もタンギングが柔らかいぞ。

筆者はここ何年かブルックナーやチャイコフスキーしか接していなかったので知らなかったのですが、ブロムシュテットは最近、ピリオド・アプローチも取り入れているようです。このお年になって、新しいことにチャレンジなさるとは…。

ベートーヴェン「田園」はこのアプローチが実にしっくりきて、さらに面白かった。テクスチュアが軽く爽やかで、最初の二つの楽章で本当に田園というか、草原にいるような気分になりました。第三楽章では祭りの輪舞の光景が浮かんできて、やがてティンパニの一撃によって嵐の情景に変わる。フィナーレもリズミカルに進み、最後の部分にホルンがつんと立った音でアクセントを加える。バンベルクを聴いたというより、ブロムシュテットの新たな一面を見た、という感じでした。。



美しいメロディー

長島剛子・梅本実リートデュオ・リサイタル 世紀末から20世紀へ Part.XV ユダヤ人作曲家の歌曲を集めてVol.2 ―― シェーンベルクの解釈者として定評のある長島剛子が、ピアニストの梅本実と世紀末から20世紀前半のドイツ・リートを取り上げるこのシリーズ、すでに15回を数える長寿企画になっています。今回はユダヤ人作曲家の戦間期に作られたリートの特集。なかなか紹介の進まない日本で、こういう企画は貴重です(11月4日、東京文化会館小ホール)。

黄金の20年代を象徴するように、甘美な歌がてんこもりでした。しかも演奏もかなりハイレベル。最初の「お化け Spuk」(シュレーカー)から、妖精たちの気まぐれな動きを、ピアノがぱりっとしたタッチで描写してみせる。その後もテクストに反応する音の動きを適切に再現。長島は深い母音に鋭い子音を組み合わせたドラマティックな表現でひっぱっていきます。

ポピュラーソングの作曲家としてだけでなく、音楽ビジネスでも成功したヴィルヘルム・グロースの歌曲集「愛の歌」はユダヤや東欧のエッセンスを反映していますが、旋法に拠ったメロディーは意外に日本風な感じも。後半も聴き手の予想の斜め上をいくコルンゴルトの美しい5曲の後に、迷宮に迷い込んだようなツェムリンスキーの4曲を連ね、最後はヴァイルの3つのソングでリラックスした雰囲気のうちにプログラムを終了。

筆者がほろっとしたのはアンコール、「この道」。ドイツでこれらの曲が作られたのとほぼ同時代に、西洋音楽の長所を生かしながら、どう美しく日本語を歌わせるかという難しい課題に挑んでいたのが山田耕筰&北原白秋コンビですが、この曲は見事な解答になっていると思います。丘の上の時計台のくだりでは、昭和初期の洋館が浮かんできました。



音楽の良さをじっくりと

ウィーン国立歌劇場来日公演 モーツァルト「フィガロの結婚」 ―― 今年は1月のシカゴ響に始まり、東京春祭とムーティを聴く機会が多かった。そんなムーティ・イヤーの掉尾を飾るのが、このウィーンの「フィガロ」(11月10日、神奈川県民ホール)。

ウィーンの舞台は保守的というか、原作に忠実なものが多い。もう何十年も使っていますっていうような古めかしいプロダクションも結構あるんですが、演劇色の強いドイツ系の演出とは違いオペラ本来の醍醐味を味わえます。この「フィガロ」はポネル演出(1988年没)ですから30年近くはたっているはずですが、劇の時代にタイムスリップしたようなオーソドックスな舞台でした。

まず歌手が良かった。個々の歌だけでなく、それぞれが劇中の役割をきっちり押さえていた。伯爵のイルデブラント・ダルカンジェロとフィガロのアレッサンドロ・ルオンゴは両名ともに美声で、堂々とした立ち居振る舞いの中に男の色気を立ち上らせる。伯爵夫人のエレオノーラ・ブラットは、第二幕頭のアリアから艶やか、かつ押し引きのコントロールが自在な歌唱で客席を引き込み、この後も見事なアリアを連発して喝采を浴びていました。

ローザ・フェオーラのスザンナは伯爵を奸計にはめるコケティッシュな身振りが印象的。ケルビーノ(マルガリータ・グリシュコヴァ)が伯爵夫人の部屋に閉じこめられて絶体絶命という場面での二重唱はパニクって右往左往するという解釈が多く見られますが、ここではむしろ声を絞って、「この苦境をどう切り抜けようか」という心理戦へと持ち込んでいきます。

全体に台本がよく読み込んであり感心したんだけれど(演出家が死去している場合、ここらへんは誰がリードするんだろう?)、充実した公演の中心にいたのはいつもムーティ。テンポが一貫して落ち着いていて、正直なところ途中までは少したるいというか、「フィガロはもうちょっとテンポよく聴かせてほしいよな」という気持ちもあった。しかしこの落ち着きがあるから、歌手が余裕をもって歌い、役も作りこめる。それに何よりフィガロの魅力である重唱部分の音楽的な完成度が非常に高い。

古風な舞台に、ゆるぎのないリード。日本でも奇抜な演出も増えてきた中、「オペラとはこういうものだ」という原点を見せてくれた舞台でした。


30年の時を経て

サントリーホール30周年記念作曲委嘱 マーク=アンソニー・ターネジ:Hibiki(世界初演) ―― 開館30周年の豪華企画が続くサントリーホール。新作委嘱も同館の重要な取り組みの一つですが、周年記念作はイギリスのターネジに白羽の矢がたちました。タイトルは「Hibiki」、7楽章の堂々たる作品です(11月12日)。

と、その前に86年のオープン時に委嘱初演された芥川也寸志「オルガンとオーケストラのための響」が再演されました。トッカータ風に駈けるダイナミックなオルガン(鈴木優人)と、それを受けたオーケストラの強奏で構成されます。時折現れる全休止でホールの残響がはっきりと感じとれました。ホール完成前に作曲されていたのではないかと思いますが、その割にはよく特性をとらえている。

ターネジの新曲は、Iwate、Miyagiと地震がらみで始まります。リズミカルなフラグメントが各セクションに同時多発的に登場し巨大なテクスチュアが生まれる。その筆達者ぶりを楽しみました。第三楽章では宗左近の「走っている」を英訳したテクストを素材に、ミヒャエラ・カウネ、藤村実穂子の二大豪華歌手が抜きつ抜かれつの競奏を聴かせます。

第四楽章ではきらきら星を新しく日本語訳したテクストに付曲した、児童合唱によるKira Kira Hikaru。日本人が歌っているのに(東京少年少女合唱隊)、外国人の日本語にしか聞こえなかったのはなぜだろう。カウネの日本語歌唱には合っていたけれど、何とも言えない感じがしました。そこから長大なSuntory Dance(アンコールで再演された)をはさみ、近松のテクストによる第六楽章(藤村)を経て、終楽章へ。

この楽章は児童合唱がうわごとのようにFukushimaとつぶやくものですが、なんだか茶番を見せられているような気分になりました。日本をテーマとしたときの同時代的体験が東日本大震災になるのはわかりますけれど、そもそもこの曲は地震がらみにする必要があったんだろうか。


江藤光紀 (音楽評論)

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